2017年04月13日

BNGT⇒3.0

遅れ馳せながら、だが。

『時をかける稽古場2.0』東京・京都2都市ツアー、全日程を終了できました。有形無形すべてのご助力、まことに感謝します、、、こう言った挨拶的言い回しは毎公演書いているのだが、今回は格別である。リアリティが違う。

さいとう篤史の降板。その代役としての古屋敷悠の登板。今思い返しても何かのボタンが掛け違ったら、公演中止は別としても数ステージ飛ぶくらいはあり得たのだろう。
1ステージも欠けずに走りきれたこと。しかも、芝居としてコメディとしてちゃんと戦える作品たして上演できたこと。
この『時をかける稽古場2.0』という作品を。

アガリスクエンターテイメント旗揚げ当初からの目標(バイブル)のひとつが、三谷幸喜の『バッド・ニュース☆グッド・タイミング』だ。
最悪の報せは、最高のタイミングでやってくる。
シチュエーションコメディがどういうものかを一言で言い表した至言だが、そのものズバリ言葉通りの状況(シチュエーション)でのこの言葉は、それ以上の意味を持って聞こえてくるのだ。

おれたちがシチュエーションコメディをやっていたから、『ナイゲン(全国版)』をやっていたから、篤史がアツシをやっていたから、『大空襲イヴ』をやっていたから、再演だったから、、、そう言ったひとつひとつが、つまり歴史が、あった。
そしてそれを共有できる座組と観客が、いた。

そんなタイミングだったんだ。だから「コメディ」たり得た。

無駄に長生きしてるわけじゃなかったんだ、アガリスクは。
本当に、幸せな劇団ですよ。

だからこそ。
成せたからと言って、成せなかったことが消える訳ではないんだ。

本人の意思は気にせず書くけど、だから完全にエゴだけど、おれは京都でさいとう篤史と『時をかける稽古場』がやりたい。で、そのときには古屋敷悠にも座組にいて欲しい。彼もまた、欠かすことのできないメンバーだから。
そしたらまた物語を大幅に弄らなきゃいけないし、どうせやるなら初演から『2.0』レベルで改造しなきゃならないし、でもそんなビジョンは現段階でないので、つまりこの『3.0』はあくまで「もしも」の話である。

でもね。
また劇団を続ける、劇団で続ける意味ができた。

たぶん何年か後に振り返って、「あの公演がタイミングだった」という公演になった気がするのだ。しかしそんな未来の話ばっかりしてられねえから、とりあえず洗濯をする。







posted by 淺越岳人 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月06日

神社・仏閣・レゾンデートル

京都という街は本当に油断のならないところで、少し歩けば史跡にぶつかる。道端の小さな社に「明智光秀の塚」だの「鵺退治の舞台」だのとあっては、足を止めざるを得ない。
昨日もハマカワフミエとちょっと足を伸ばして東山方面に歩いたが、空也像やら平清盛像やら、もう教科書に出てくるそのまんまの姿で目の前に現れるのだ。なんとなしに覗いた神社仏閣の縁起が「聖徳太子由来」だったり「桓武天皇ゆかりの〜」なのだ。

冨坂の言を借りると、「戦国武将や幕末の志士のリアリティはガンダルフと同じ」なのである。我々からしたら書物をはじめとする物語(歴史だって物語に過ぎない)を通してしか理解できない以上、歴史上の偉人とフィクションの登場人物との境は曖昧である。更に言えば、その人物の業績が大きければ大きいほど、同時にフィクション値も上がる。文字通り"伝説"になってしまう。
しかしその業績、とくに建造物や像など"実体"を伴う形で眼前に出されると、そのリアリティが一気に引き上げられるのだ。「あ、いたんだ」という、驚きに近い実感。物語という"情報"でしかなかった存在が実像を結ぶ、そんな"説得力"があるのだ。
とくに"実体化"の効果が大きいのが、墓所や首塚だ。「死によって生を実感する」とかいう表現には気恥ずかしさを覚えるが、まあそういうことた。天下の梟雄、松永久秀の墓に手を合わせたときなど、内心その虚と実の落差にくらくらして、興奮していた。
この「実在する、という感動」は、実はおれの演劇の原体験にも繋がっている。何度か書いているが、もともと小説家としてのつかこうへいが好きで、そこから戯曲を読み漁り、その後ようやく劇場に観に行ったのだ。『飛龍伝』を舞台で観るのは初めてだったが、話の内容はもとより台詞レベルで頭に入っている状態で観たわけだが、そのときの感動が正にそれで、「うわ、こういうことだったんだ!」という「今まで想像でしかなかったものが存在すること」、「在ることの理解」から生まれる興奮が、主演の広末涼子のあまりの可愛さとともに記憶されている。
またプロレスでもこれはよく覚える感覚で、初めて武藤敬司や天龍源一郎などいわゆる"レジェンドレスラー"を生で観たときのあのオーラというか圧力みたいなものにも、似たものがある。語られ続ける数々の豪快なエピソードや伝説の試合を当時の映像や文献で追って、というのも共通している。
更に遡ればおれの映画原体験も『ジュラシック・パーク』で「図鑑で見たアイツやアイツがうごいてるやがる!」だったわけで、この「想像で補っていたものの実体化」は、おれにとって中々に大きいみたいなのだ。

で、まあなんで京都にいるかっていうとそれは芝居しに来たからであって、結局その話になっちゃうのだけど。

「初演の映像観て来ました」とか「生で観れて嬉しいです」とか、そういう感想貰うのですよ。ありがたいことに。
だからもしかすると、おれにとって大きなテーマである「実在するという、感動」をね、共有できてるんじゃないか、と思うのです。しかも自分が深く関わる作品で。そしてこれは凄いことだと思うのです。

原点の共有。点と点が線になっていく快感。 

だから強調しておくけど、演劇の「ライヴであるという魅力」と「映像記録のアーカイヴと公開」は矛盾しない。むしろ、それは導線であるとともに増幅装置だと思っている。
また、初演と『2.0』を観比べると解るのだけど、今回初演では「描けなかった」シーンが追加されている。それもまた、「想像でしかなかったものの実体化」であり、だからこその再演でなく『2.0』なのだ。

で、我々は劇団なんで。実体化するには上演するしかないわけで。上演って大変で。本当に大変で。
でもまああの手のこの手を使って実体化して実在させんのが劇団なんで、今夜も存在してきます。

さあ、共有しようぜ。








posted by 淺越岳人 at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月18日

『時をかける稽古場2.0』私見登場人物紹介

アサコシ・・・第63小隊の主宰。脚本・演出を担当。SFへの愛と造詣は深く、その知識を活かした脚本の評価も高いが、病的な遅筆であり毎回劇団員に三途の川を見せている。
シオバラ・・・旗揚げから参加する古参俳優。身長も芝居もデカい。テンションが上がると色々な見境がつかなくなる。
コータ・・・第63小隊の旗揚げメンバー。俳優としては劇団の主力だが、つねに金欠。基本的にいつもふざけている。
カシマ・・・関西から上京後、63小隊の舞台を観て即劇団に加入。出演とともに雑務を一手に任される。だらしない男衆よりよっぽどマシではあるが、意外とポンコツ。
ツワノ・・・63小隊の常連客演だったが、最近ついに加入。頭の回転と画力に定評がある。彼女と同棲しており、その辺もうまくやっている。
クマガイ・・・客演だがアサコシがその芝居に惚れ込み、ここ数公演で主演を務めそのまま劇団員に。看板女優であることを自他共に認めている。
アツシ・・・旗揚げメンバーの大学の後輩で、その縁で加入。責任感も強く芝居にもアツいが、少々うるさい。
ヤブキ・・・常連客演。最年長ゆえそれなりにしっかりしているが、稽古場ではいつも寝ているためそのマトモな姿を見たものはいない。
ユキ・・・インディーズアイドルグループのひとり。今後の活動の幅を考えての初舞台だが、なにせ台本がないため困惑している。良い子。
ハマカワ・・・クマガイの高校演劇部の同期であり、そのつながりでの出演。今は映画やドラマへの出演が中心であるが、劇団運営にも理解のある出来た女優。
ネコソギ・・・メンバーの大学の先輩。整ったルックスに似合わぬ独特な演技で学生演劇で活躍するも、俳優の道を諦め就職する。
シム・・・アサコシ達の大学の同期で、劇団員ではないが卒業後も制作業務を引き受けている。公演のたびに迷惑を被るポジションだが、それなりに愛着はあるようである。
マエダ・・・自分でも劇団をもつが、勉強のためにと演出助手として参加。しかしアサコシの遅筆ゆえに稽古にならないのでやることがない。




posted by 淺越岳人 at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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